【今さら】ブログ異転というか統合のお知らせ【誰も見てない】

四年ほど放置いたしました本ブログ、存在そのものを主自身が忘れているという不備もありましたが、この度別ブログに完全に移行いたします。
移行先で更新が定期的に行なわれるかまでは分かりませんが(-_-;)

移行先は以下のはてなダイアリーです。

「深海通信」(http://d.hatena.ne.jp/deep_place/

新刊レビューの一コーナーとして復活の予定は未定。

もしまだこちらをお気に入りにいれている方、いらっしゃいましたら新ブログの方もご覧いただければ幸いです。

それでは……

ニック・ストーン『ミスター・クラリネット』(2007)

ミスター・クラリネット 上 (RHブックス・プラス)

ミスター・クラリネット 上 (RHブックス・プラス)

ミスター・クラリネット 下 (RHブックス・プラス)

ミスター・クラリネット 下 (RHブックス・プラス)

二年前に誘拐された息子の行方を探して欲しい。生きて連れ帰れば1000万ドル、死んでいたとしても、死体を持ちかえれば500万ドル払う……刑務所帰りの元私立探偵、マックス・ミンガスにとって、それは非常に美味しい仕事のはずだった。しかし、彼の行く先はヴードゥーの呪術と極度の貧困が蔓延する無法国家、ハイチ。しかも、彼の前に捜索に当たった探偵たちは、皆悲惨な目に遭っているという。覚悟を決め、"この世の地獄"に踏み込んだマックスが、その地で目にしたものはいったい何か。

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デビュー作にして、2006年のCWA(イギリス推理作家協会)イアン・フレミング・スティール・ダガー(IFSD)を受賞した作品。IFSDは、最優秀賞であるゴールド・ダガーなどと比べると知名度はいま一つだけど、トム・ロブ・スミスチャイルド44』や、ジョン・ハート『ラスト・チャイルド』など、日本でも評価が高い作品が受賞している。「〜賞受賞作」という宣伝帯(「〜絶賛帯」よりはましとしても)には何度も何度も何度も騙されている私としても、何となく期待を膨らませる賞である。


主人公の元私立探偵、マックス・ミンガスは、行方不明になった子どもの捜索のプロフェッショナル(誘拐など含む)。刑務所に入っていたのは、以前関わった誘拐事件で、犯人の未成年三人を射殺してしまったため。かっとなりやすい暴力的な部分はあるが、亡き妻との思い出を断ち切れず、女性に惹かれることに罪悪感を覚える複雑なパーソナリティーからも、単純バカでないことはすぐ分かる。その主人公が、ハイチを舞台に捜査を進めていく訳だ。
ハイチが舞台、というと何となくイロモノっぽい雰囲気を漂わせる(セオドア・ロスコーの大ケッ作『死の相続』を思い出してしまう)が、どっこい極めてオーソドックスな私立探偵小説である。マックスは一つ一つ証言を積み重ね、証拠を繋ぎ、推理を組み上げていく。"Ask a Right Question."、すなわち、「正しい質問を正しい人間にぶつけ、正しい答えを引き出すこと」こそ、PI小説の基本中の基本。たとえ舞台がハイチであったとしても、マックスがこのレールから外れることはない。

しかし、その捜査の過程で、マックスは(そして読者は)ハイチが抱える現実を、否応なく見せつけられることになる。貧富の差があまりに激しすぎる世界の最貧国ハイチ、呪術や占いなどの迷信が生活の奥深くまで支配する「文明化の遅れた国」ハイチ、アメリカ合衆国など周辺の強国に良いように弄ばれる弱者ハイチ。作者は、しかしその実情を、変なバイアスがかかっていない、ニュートラルな視線を通して提供する。この視点は、ハイチで生まれ、現在もしばしば現地を訪れるという作者ならでは。

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この作品を傑作たらしめる要素は、アメリカ人の主人公が地獄廻りをして「ハイチの絶望」と正面から直面することが、物語の根幹と緊密に結びついているという点にある。ハイチの現実を知ることで、主人公の(同時に読者の)持つ正義観、あるいは幸福観は、大きく揺るがされることになる。己の正義を貫き通し、事件を解決し、カタルシスを得ることが、果たして正しいと言い切れるのか。マックスは迷い、酒に溺れて行く。
その迷妄に対置させる形で、作者は、ハイチを裏から仕切る麻薬王である謎の男、ヴィンセント・ポールを配している。己の正しさを信じ、力を行使する「悪」ヴィンセントが、「迷いの物語」とどのように絡んでいくかは、非常に面白い。最終的に明らかになる真実は、陳腐さにうんざりさせられるありふれた(しかし、被害者にしてみれば最悪の)悪夢だが、そこからもうひとひねりして見せる辺り、なかなか侮れない。


ミステリ年度の初めから早速良作が飛び出してきたのは嬉しい限り。この時期の作品は、どうにも忘れられがちだが、私立探偵小説ファンのみならず、広く読まれてほしい作品だ。

マーティン・ウォーカー『緋色の十字章』(2008)

緋色の十字章 (警察署長ブルーノ) (創元推理文庫)

緋色の十字章 (警察署長ブルーノ) (創元推理文庫)

フランス南西部にあるサンドニは、美しい風景で知られるのんびりとした小村。ところがある日、衝撃的な殺人事件が発生する。警察署長を務めるブノワ・クレージュ(通称ブルーノ)は、村の平和を取り戻すべく生まれて初めての殺人事件捜査に挑んでいく。

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もっとも端的にあらすじを紹介すると以上のようになる。一見、村の警官が寄り道しながらのんびりと捜査して、最後に犯人を指摘するような微温的な警察小説に思える。しかし、実際に読んでみると受ける印象は大きく変わるだろう。
本作で扱われる殺人は、実に陰惨な事件である。元戦争の英雄であるアルジェリア人の老人が、あろうことか鉤十字をその身に刻まれて殺されたのだ。犯人は極右の行動家? ジャンキーの若者? 容疑者は次々に浮かび上がっては消える。謎を解く鍵は、被害者の老人が隠し続けてきた彼の過去にあると確信したブルーノは、友人たちの力を借りながら、彼の人生を逆に辿っていく。しかしそこで明らかにされたのは、あまりにも残酷な秘密だった。

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主人公のブルーノはこんな男だ。

30代後半の元軍人。テニスを得意し、村の子供たちにフットボールを指導するスポーツマン。一人暮らしで料理上手、家の中は片付いているが車の中はごちゃごちゃ。警察署長として村に住んで一年、公正で厳格だが、時には法の逸脱に目をつぶってやる茶目気が、村人たちに愛される理由。元大統領補佐官のキレ者村長からも信頼厚く、あと女にモテる。農家のおばさんたちからは、婿にしたいアラフォー男子No.1と見られている。とにかくいい奴らしいことは開巻50ページも読めば把握できる。嫌みのないイケメンと言える。

この紹介の中で注目に値するのは「公正で厳格だが、時には法の逸脱に目をつぶる」という点だ。以下作中の例を挙げる。

村の市場で売られている食品は、EUの食品衛生に関する法律からすれば違法なものばかり。監視官は執拗にサンドニ村を狙っていて、しばしばベルギーくんだりからやってくる。ブルーノは、周囲の村の警察と連携して監視官の接近を把握し、市場で売るおばさんたちに違法食品を陳列しないように予め知らせている。それどころか、時には法解釈と屁理屈を武器に監視官と一戦交えることすら辞さない。

罪のない違法を敢えて裁かないことで村人の信頼を勝ち得て村の平和を維持しようとするブルーノは、極めて巧みな政治的駆け引きを心得た男なのである(天然な部分もあるが)。その彼が、殺人事件という究極的な犯罪と対決することを余儀なくされるというのが本作の趣旨だ。

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敢えて言ってしまえば、謎解きそのものは他愛ない。老人の過去も、老人を殺した犯人の正体も、ほとんどそれしかない、と割に早い段階から察知できる内容であり(擦れた読み方イクナイ)、その点においては目覚ましい作品とは言えない。
この作品を独特たらしめているものは、すべての謎が解けた後、その後始末の部分にある。
如何に陰惨な事件であっても、如何に悲しい真実であっても、探偵役はすべてを開陳し、犯人を裁き、コミュニティに秩序を取り戻さなければならない。彼が警察官であれば、それはなおさらである。しかし、ブルーノはそのような意味での解決を放棄する。なぜなら、真実を広く明らかにすることは、村の崩壊を意味するからだ。加害者とその家族の受けるダメージは当然のこと、被害者家族もまた衝撃を避けることは出来ない。村には攻撃的なマスコミが溢れ、観光地としてのサンドニ村は決定的に終わる。だからブルーノはすべての秘密を己の胸の裡にしまいこむ。


ブルーノは、近代的な警察官というよりむしろ、中世的な村の守護者で、騎士である。コミュニティの内側に取り込まれ、裁くことを躊躇ったアルバート・キャンピオンやエラリー・クイーンとは、また違った形での「裁かぬ探偵」ブルーノの今後の活躍を、興味深く見守りたい。

クレイグ・ライス『幸運な死体』(1945)

読む本を決める基準がみるみる曖昧になりつつある今日この頃。ツイッターで、誰だったかがライスを読み始めたのを機に、ライスを読むことに決めた。おもろうてやがて悲しきライスは、暇つぶしにはもってこいの作家だ。

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アンナ・マリー・セント・クレアは、途方もなく不幸な女だった。死刑囚監房の中にもう半年も収監され、そして今日、彼女に対する死刑が執行されるのだ。ところが、処刑20分前、夫のビッグ・ジョーを殺した犯人がその死にぎわに自白した。一転、幸運な彼女は無実を証明され、無事牢獄を脱する……はずだった。しかし、彼女は「自分は死刑に処された」ことにして、自らに罪を着せた者たちの前に「幽霊」として現れ、復讐してやると言いだす。弁護士マローンは惚れた弱みで彼女の復讐劇を助けることに。

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とにかく、アンナ・マリー・セント・クレアの魅力につきる作品である。なびくブロンドヘア、白磁のような肌、煙で曇ったような瞳、そしてグレーのドレスが抜群に似合うコケティッシュな彼女は、まさしく往時のハリウッド美人。美人に弱いマローンが一撃でノックアウトされたのも無理はない。ところが、彼女がまた実にスカスカなキャラクターなのである。もちろん「幽霊復讐劇」という360度回ってやっぱり頭のおかしいアイデアを即実行に移す辺り、ライスらしいひねくれたユーモアセンスが発揮されていて楽しい。しかし、その最初の一蹴りを除けば、彼女は常に受動的だ。何くれと世話をするマローンやジェイクが、彼女の周りで勝手に物語を動かしていく。

アンナ・マリーは、「男に見られることで成立する女性像」=「かわいい女(Little Sister でも La belle dameでもかまやしない)」であるように描かれていく。それは、「この女は俺が世話を見てやらないと」と男に思わせる女である。物語の中を勝手に驀進して行くもう一人の女、ヘレンとは対極的に。

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アンナ・マリーと献身的なマローンの姿を見ながら、読者は悲しい結末を予想せずにはいられない。マローンは、作中で抱いた恋が成就しないことに定評がある男である。『こびと殺人事件』の老女優との逢瀬とか、悲しすぎて再読できないほどだ。しかし、小太りでも服装が若干みっともなくとも心は騎士であるマローンは、たとえその恋心に見込みがなかろうとも、金と愛情を惜しみはしないし、結果的に、女が自分のものにならなかろうとも、みっともなく騒いだりはしない。

辿りついた必然の結末、そしてマローンが最後に暴き出す真実は、読者の心を(ひいてはマローン自身の心を)二重に傷つけていく。しかし、それでもマローンは……


「『ぼくもきみを愛しているんだ。さあ、早く行きたまえ』彼は眼を閉じた。
「ほんのしばらくのあいだ、彼は彼女の腕が彼を抱き、彼女の唇が彼の唇に触れるのを感じた。彼が手をさしのべる前に、彼女の姿は消えていた。彼は眼をひらき、階段をひらひらと下りて行く淡いグレイの後ろ姿をちらりと見てとった。階下のドアがひらいてしまる音、タクシーが走り出す音が聞こえた。二度とふたたび、彼女に会うことはないだろう」(p.327)

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恋に破れた夜、きっと読みなおせない一作。

再起動

就職とか諸々を言い訳に、単なる無精を慰めていた訳だが。
そろそろ再復活したいとか思ったので、またぞろ更新いたします。
飽きたらまた、更新が止まることでしょう。それまでよろしく俺。

ケヴィン・ブロックマイヤー『終わりの街の終わり』(2006)

終わりの街の終わり

終わりの街の終わり

『第七階層からの眺め』というタイトルの短編集が、今月刊行されると聞いたので読んでみた。終末SFなのかと思っていたけど、大分毛色が違って驚く。

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そこは一度死んだ人間たちが暮らす、名もなき街。現世(?)に己の存在を覚えている人がいなくなった時、街の住人たちは二度目の死を迎えることになる。
ある日、無限とも思えた街の規模が徐々に小さくなり、住人の数が減少したことに人々は気づく。新たに現れ、そして間もなく消えていく者は、現世で爆発的なウイルス禍が発生し、大量死が日常化していると、語った。現世からすべての人間が消えた時、「終わりの街」もまた終わるのだ。
人々は終わりを、そしてある女性について語り出す。南極基地でただ一人生き残った、ローラ・バードについて。

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「終わりの街」に暮らす人々が、異変にあって日常に暮らす様子を描いたパートと、南極でたった一人、生き残りの策を弄するローラの様子を描いたパートが交互に語られる。「終わりの街」のパートは、短篇集と見て差し支えないだろう。各章で登場する人物たちは、実は全員がローラを中心に繋がっている、というのがミソだ。
「終わりの街」という特殊な設定にあっても、そこに暮らす人々に特別な部分はほとんどない。現代アメリカに暮らすごく普通の人々の、ごく当たり前の生活、そしてその中に煌め「生の一瞬」を切り取っていく作者の眼の鋭さと暖かさ(矛盾形容か)には驚かされる。個人的には街唯一の新聞発行人、ルカ・シムズの話(「遭遇」)が好きだ。人と話す時、つい新聞のヘッドラインのように話さずにはいられない奇癖を持った彼の孤独を描いた物語。街の滅びを予感しながら、それでも、誰も読まない新聞を作らずにはいられないルカ。そんな彼が、街で出くわした盲目の男。二人はまだ消えていない人間たちを探して歩きだす。こんな一節が気にいる。

「ルカはふと、今日がシムズ新聞を出せなかった初めての朝だと思った。たしかに今のところ見つけた唯一の読者は盲目の男であり、だからおそらく読者にはなりえないのだろうが、それでも少しのあいだ彼は、宿題を忘れた子供のような気分になった。前々から自覚していたが、これが彼の性格なのだ。どこか背後から、教師が自分を見ているに違いないと思うことが」(p.56)

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街の滅びと並行的に描かれる、徐々に死へと近づいていくローラ・バード。彼女が、何かに追い立てられるように南極を旅する様子は異様にリアリティに溢れている。一つのミスが死に直結する雪と氷、極低温の大地で彼女が見る悪夢。参考にしたというアプスレイ・チェリー・ガラード『世界最悪の旅』(中央公論新社)が気になる。

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ローラの死が街の滅びと直結する重要時であることが次第に分かってくる終盤は、異様なサスペンスがあってもおかしくはないはずだが、この作中人物と読者意識のズレはなんだろう。危機感のなさ?一度死んだ者の余裕?あるいは。

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最後に一つだけ引用。

「死者たちのコミュニティーも、以前の生者たちのコミュニティーも、いつもそばにあり、外で待っていてくれるのが当たり前だとみなしていた。だから、彼はそれにかまわず、参加するよりも脇から観察したり、耳を傾けたりするほうを選んだ。しかし、彼はノートを下に置き、どこかの酒場にでも行き、数人の飲み仲間を求めるべきだったのだ。だれかと恋に落ちるべきだった。少なくとも、その努力をすべきだった。
「やっておくべきだったことは実に多かったが、やらずにすごしたのが事実であり、そして今となっては手遅れだった。」(p.52)

ダメだ。泣いた。短編集も楽しみ。

ルース・フランシスコ『暁に消えた微笑み』(2004)

暁に消えた微笑み (ヴィレッジブックス)

暁に消えた微笑み (ヴィレッジブックス)

カリフォルニアの美しい朝。浜辺に漂着したのは一本の美しい腕。その薬指には、ダイヤの指輪が煌めいていた。開巻早々に立ち現われるこのシーンの与えるインパクトは相当のものです。第一章は、その腕の第一発見者である名無しの釣り人の視点と、婚約者に突然振られ逆上した青年スコットの視点とが交互に繰り返されるカットバック形式で進んでいきます。
男たちが揃って「女神のような」を称賛するローラこそがこの物語の中心人物であり、彼女の存在、そしてその唐突な失踪によって、ほかの登場人物たちは己の欲望や過去に直面させられることになります。彼女は果たして生きているのか、漂着した腕は彼女のものなのか、犯人はスコットなのか。作者の手の中で、読者はひたすら弄ばれることになるでしょう。
ただの愚か者なのか、あるいは恐るべき真犯人なのか、そのどちらとも言えないスコットは、この作品の影の主人公です。己の利益を最優先し、そのためには自分の大切な人を踏みにじっても屁とも思わぬ男。自分の非を認めず、何か他のものに責任を転嫁し、徹底的な自己弁護を試みるクズ野郎。そんなスコット君が、この物語の中でいかに罪を重ね、決して這い上がることのできない泥沼に沈むことになるのか。それとなくジム・トンプスン『ポップ1280』に登場したニック・コーリーなどを思わせる名脇役で、個人的には大変堪能しました。

上質なサスペンス小説で、しかも万人が楽しめる良作だと思います。表紙はどう見てもロマサスですが、騙されたと思って読んでみてください。後悔はしないと思います。