ジョージ・R・R・マーティン『洋梨形の男』(2009)

洋梨形の男 (奇想コレクション)

洋梨形の男 (奇想コレクション)

「どんな女の人生にもひとりの洋梨形の男がつきものなのよ」――アパートメントの地下室で、チーズ味のスナックをむさぼり続ける不気味な「洋梨形の男」につきまとわれた女性イラストレイターの恐怖を、克明に描き出したブラム・ストーカー賞受賞の表題作、創作にまつわる罪業の奥深さを遺憾なく暴きたてるネビュラ賞受賞作「子供たちの肖像画」、そして、10年前の敗北に囚われた男の執念と悲哀を題材にしたチェス小説の名品「成立しないヴァリエーション」など、「今ここ」の恐怖と悪夢を提示する、名手ジョージ・R・R・マーティンの傑作集。

再開第一回はホラー短編集でした。

恥ずかしながら、マーティンは一作も読んだことがなかった(『サンドキングス』は積読、『氷と炎の歌』は暇ができたら……)のですが、この短編集は素晴らしい。ジャンルを超えて、さまざまな人が楽しめる作品集だと思います。特にラストの中編「成立しないヴァリエーション」は、短編としては今年最大の収穫といっても過言ではありません。

ネタバレ感想になりますので、未読の方はご注意ください。


「モンキー療法」と「洋梨形の男」は、肥満体の男が作中で大きな役割を占める他にも、主人公が出会った一種スーパーナチュラルな存在が、次第にその存在感を増していく様子を描いているという点で、非常に似通ったモチーフを書いた作品と言えます。とりわけ後者では、存在の不気味さに加え生理的嫌悪感を引き立てるような描写・表現を多用し、読者にも強烈な印象を与えています。シリーズを通してカバー絵を担当している松尾たい子さんが実に分かっていて、本を閉じた後、しばらくチーズ味のカールを食べられなくなることは請け合いです(笑)。

「子供たちの肖像」は、描かれる現象が現実なのか妄想なのかという議論もあることでしょうが、私としてはディケンズの有名作『クリスマス・キャロル』を強く思い起こさせる作品だと思います。娘から送られ来る肖像画が甦らせる歪んだ後悔の念に、作家は己の作品に投影してきた「理想の自分」「理想の恋人」「将来の自分」を話し相手に、己の前半生を回顧していきます。ここで明らかになるのは、物語を紡ぎだすことにまつわる一種の罪深さです。規を超えた主人公は、スクルージのように安易な救いを得ることはできません。

「成立しないヴァリエーション」は、チェスをモチーフにした小説です。この作品の中で主人公は人生をチェスにたとえ、次のような比喩を示します。

「すべては選択の問題だ。一手指すたびに人は選択に直面し、選択するたびに異なる変化手順(ヴァリエーション)が生じる。それはつぎつぎと分岐する。そして自分の選びとった変化手順が見た目ほどよくないとき、まったく正解ではないときもある。でも、ゲームが終わるまで、それはわからない。」

登場人物の一人ブルース・バニッシュは、精神を過去に遡行させる一種の「タイムマシン」を発明し、主人公たちの成功した人生を破滅させてきたと主張します。これが彼の妄想なのか、あるいは現実にタイムマシンを作り上げてしまったのか、作中で明らかになることはありません(し、その必要もないでしょう)。問題は、彼が何度復讐のために人生をやり直したとしても、リスタートした時点で、既に必敗の状況に押し込められているということです。これは、作中で主人公たちが挑まされるチェスの局面(バニッシュが大学時代に戦い、主人公たちの罵倒の対象となってきたもの)と呼応しています。彼は復讐に固執するあまり、自らが戦おうとする局面が決して勝利に結びつくことがないことに気づけないまま、チェスを指し続ける哀れなプレイヤーなのです。